天保異聞妖奇士 #7

ケツァルコァトル、雲七編締め。
殺したことも忘れ、作り出した都合の良い幻と過ごした15年間を、果たして罪と向き合って過ごした年月と評して良いものか。
確かに人間は奇麗事だけでは生きていないし、もっと酷いことなんていくらでもあるかもしれない。
でも人の命がかかってる場合は、問題はまた別だ。他の罪と同列に扱うことには違和感以上のものを感じる。
"それが大人だ"
では済まないだろう。
じゃあどうすればよかったかというと、前回アトルがユキアツに言い放ったように、死ねばよかったかというと、それもまた違う。
結局この問題はどこまでいっても感情論でしかなく、結論の出ないものだと思う。物語の主人公としての適性には問題があるかもしれないが、人間としては、再び雲七を殺して、今度はしっかり罪を背負って生きていく覚悟を決めたユキアツを、少しは評価しても良いのかもしれない。
色々と考えさせられた話だった。
雲七が馬になって留まったり、お篠が既に家庭を持って七次のことは吹っ切っていた、というような話は安易に過ぎるんじゃないかと思ったが、まあそんなものかもしれない。
泡姫(違アトル萌えってことで一つ。